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【書評・読書感想 平野啓一郎】ある男を読んで戸籍について考えた

 

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こんにちは。

 

湘南で自由な生活をしたい、らいおです。

 

現在「マチネの終わりに」が映画化で最近話題、平野啓一郎さんの小説を始めて読みました。

 

「マチネの終わりに」を見ないで「ある男」を読むところがひねくれてますね。

 

題材を全く知らず、人から良いよと勧められて読んだ本ではありますが、

非常に深くて読み応えのある本でした。

 

最初に感想を言ってしまうと、

「日本という世界の見方がかわること、自分の存在への希薄感が高まる」

こんな印象を持ちました。

 

 

日本の戸籍は交換できる?

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少しネタバレになってしまうかもしれないので、簡単に最初のあらすじを書きます。

 

ある日愛する夫が死んだ。それはとても悲しいこと。

しかし、もっと悲しいことが死んだことによって発覚する。

死んだ夫は、夫ではない。

夫だと思っていた男は夫の名前を被った別の人間であった。

 

 

運転免許証などで

「あなたは何者ですか?」

とよく問われます。

 

現代の日本では戸籍が個人を規定するためにかなり大きな力を持ちます。

 

この本を読んで主題に思えたテーマは「戸籍の交換」

個人的には始めて聞く単語でした。

  

少し調べてみると、現在の戸籍制度になったのは昭和23年(1948年)の改正戸籍法によって。かなり最近の制度なんですね。

 

そして、江戸時代にはニセ家系図なるものが流行したそうです。

そもそも、教育水準が低かったため、家系図を作っている家は1割ほどしかなかった。

作れば名家と見做されるされるため、各個人の戸籍を偽造して家系図を作っていたそうです。

  

昔から戸籍の偽造が日本で行われているなんて、思っても見ませんでした。

 

最近だと、日本でマイナンバー制度ができましたが、

裏でこうした状況があったから制定されたとも考えられるのではないでしょうか。

 

現在マイナンバー制度で何か個人的に規定されることは今のところないですが、

戸籍交換はしづらくなるのは間違いないですね。

 

普段何気なく名刺交換や、自己紹介などをしてコミュニティに属していても

本当にその人である確証が持てるのか?

 

何不自由ない生活を送れると思っている、先進国日本において

目の前の誰かが本物かどうかわからない現実に、絶句するしかありませんでした。

 

違う人の人生を歩むということ

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今の日本では自分は何者かを規定する上で1番重要なことが戸籍なんだと思います。

 

一度しかない人生の中で、恐らくは二人の人生を生きたのだった。

前半の人生に見切りをつけ、まったく新しい人生を開始する決断をしてー

 

要は戸籍を交換することで「生まれ変わる」ということではないでしょうか。

 

以前自殺について安楽死を題材にした古市さんの「平成くんさようなら」の際にこんなことを書きました。

 

安楽死という選択肢がある事は、楽に生きられる心の支えになるかもしれない」 

 

www.shonan-ijyu.com

 

そして、戸籍を交換して他人として生きる行為も

楽に生きる一つの手段なのではないか?

と考えるのです。

  

まとめ

戸籍の交換は法律上許されない行為なので、悪いことではあります。

 

しかし、この本を読んでいて人生においてなにかから逃げたいと思った時、肉体の死を選択するのではなく、社会的に死ぬ、別の人間になるという選択肢があることを知りました。

 

肉体の死、社会的な死、どちらも死ぬことなので簡単に取ってはいけない選択肢であることは間違いありません。

 

ただ、個人的にこの問題に是非を問うことはできません。

 

この上ない悲しみに耐えきれなくなった時、自分がどのような選択をとるか。

 考えても考えても答えがでなのですから。